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	<title>きのこるプログラマ</title>
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		<title>最近の孫正義氏のメディア露出について思うこと</title>
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		<pubDate>Thu, 02 Sep 2010 02:51:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kinokoru</dc:creator>
				<category><![CDATA[雑記]]></category>

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		<description><![CDATA[
ソフトバンクの孫さんのメディア露出が増えてきている。Ustreamで佐々木俊尚氏との対談を皮切りに、最近ではカンブリア宮殿に2週連続で出演して、その後まもなくまた出演。番組でも極めて異例である。
リクルート事件、ライブドア事件の本を読んで思うのが、やはり出る杭は打たれるのが日本社会である。孫さんは光の道構想もあるし、既得権益の集団とこれから戦っていかなければならない。
孫さんが、最近メディア露出してTwitterでもつぶやいて、自分の訴えを浸透させようとしているのは、今後の戦いのための下地作りだと思う。ソフトバンクの展望やビジネスモデルは、正当なものだという世論を形成しようとしているのではないか。
ルパード・マードックと組んでのテレビ朝日買収の件も、すぐに手を引いたが、あれもこれ以上踏み込むとマズイことになるとの判断かもしれない。基地局の周波数のハンデの問題も、ユーザーに電波が悪いと叩かれつつも、今まで黙ってきたのは、おおぴらに言って既得権益集団を刺激したくないというのもあったのかもしれない。
しかし何としてでも改革したい。そこで自身が露出して世論形成しようと考えたのではないだろうか。孫さんが賢いところはメディア露出すると言っても、あくまで事業に関することを訴えるときのみ。ホリエモンのような芸能人化は絶対にあり得ない。Twitterではおちゃらけたりもするけど、対談では反対側の立場の人にも誠実な態度で異論を唱える。また、光の道構想のプレゼンでも、NTTにも利益があるということを、数字を出して示している。へたに敵を作って刺激することはしない。すべては計算づくなのだと思う。
いずれにせよ、今後の動向には目を離せない。

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			<content:encoded><![CDATA[<p>ソフトバンクの孫さんのメディア露出が増えてきている。Ustreamで佐々木俊尚氏との対談を皮切りに、最近ではカンブリア宮殿に2週連続で出演して、その後まもなくまた出演。番組でも極めて異例である。</p>
<p>リクルート事件、ライブドア事件の本を読んで思うのが、やはり出る杭は打たれるのが日本社会である。孫さんは光の道構想もあるし、既得権益の集団とこれから戦っていかなければならない。</p>
<p>孫さんが、最近メディア露出してTwitterでもつぶやいて、自分の訴えを浸透させようとしているのは、今後の戦いのための下地作りだと思う。ソフトバンクの展望やビジネスモデルは、正当なものだという世論を形成しようとしているのではないか。</p>
<p>ルパード・マードックと組んでのテレビ朝日買収の件も、すぐに手を引いたが、あれもこれ以上踏み込むとマズイことになるとの判断かもしれない。基地局の周波数のハンデの問題も、ユーザーに電波が悪いと叩かれつつも、今まで黙ってきたのは、おおぴらに言って既得権益集団を刺激したくないというのもあったのかもしれない。</p>
<p>しかし何としてでも改革したい。そこで自身が露出して世論形成しようと考えたのではないだろうか。孫さんが賢いところはメディア露出すると言っても、あくまで事業に関することを訴えるときのみ。ホリエモンのような芸能人化は絶対にあり得ない。Twitterではおちゃらけたりもするけど、対談では反対側の立場の人にも誠実な態度で異論を唱える。また、光の道構想のプレゼンでも、NTTにも利益があるということを、数字を出して示している。へたに敵を作って刺激することはしない。すべては計算づくなのだと思う。</p>
<p>いずれにせよ、今後の動向には目を離せない。</p>
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		<title>虚構 ～ 宮内亮治</title>
		<link>http://kinokoru.info/?p=442</link>
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		<pubDate>Thu, 02 Sep 2010 02:21:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kinokoru</dc:creator>
				<category><![CDATA[書評・感想]]></category>

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		<description><![CDATA[

ライブドアのNo.2だった宮内氏のライブドア事件に対する著書。
ホリエモンを全面批判しているわけでもない。むしろ一緒に歩んできた軌跡は、彼の中でかけがえのない人生の一ページであるようだ。ホリエモンは天才と高く評価している。ただ、結果をすぐに求めるばかりに飽きやすいことが弱点だとも言っている。
宮内氏の主張はおおまかにこのような内容。

堀江氏の執拗な企業成長を数字で示すことへの固執により、粉飾に走ってしまった

そもそも、その処理が粉飾決算に相当すると思っていなかった

堀江氏が100億円ほどの個人利益を得たことから、彼の事業への関心が急速に薄れていった

その後は、自分がライブドアの舵取りをやっていたのは事実

しかし、あくまでライブドアは堀江氏の会社である。逐一堀江氏の報告はしており、「知らなかった、宮内氏がすべてやったこと」という主張はおかしい


先日読んだ江副氏のリクルート事件の話と合わせて読んでみて思うのだが、やっぱりこういった事件には検察側で筋書きが用意されているということだ。へたに真っ向から勝負すると事態はかえって悪くなる。検察側のシナリオを理解した上で、どうすれば自分の刑が最小限になるかを考えるべきなのである。宮内氏が言うように、国家権力には逆らえないのだから。
そもそもリクルート事件もライブドア事件も、立件された内容の中には、当時の法律の上では違法性が無いことも、たくさんあるのだろう。しかし、それが第三者から見てモラルに反することではないか？悪く勘ぐられる可能性があるものではないか？は、十分考えた上で行動しなくてはならない。これらの事件において検察側がいたずらに職権乱用している、とは自分は思わない。
そもそも法律など人間が作ったルールなので、時代の流れと共に抜け穴が出てくるのは必然である。その穴をくぐっていいのかどうかは、個人のモラルで判断しないといけない。違法性が無いから訴えられる筋合いはないと言っても、社会を混乱させる可能性があるのなら、それは罰せられるのだ。あくまで企業は社会活動のためにあるのであり、社会に何かしらの貢献をするためにあるのだから。金さえ儲かれば後のことは知らないという態度では駄目である。たとえ、そう思っていなくても世間にそう見えたらアウト。逆に金さえ儲かればいいと思っていても、世間にそう見えないように振舞う必要がある。
リクルート事件の未公開株を政治家へばらまいたのも、本人に賄賂の意図はなくとも世間は疑うだろう。ライブドア事件も、世間から見れば、法さえ犯さなければ、どんな手段でも金儲けしていいと判断されても仕方がないビジネスモデルだった。想像力の欠如が招いた事件とも言えるだろう。
宮内氏が賢かったのは、検察のシナリオを理解して、法を犯す意図は無かったとしても、確かに世間から見ればそう捉えられても仕方がないと認めたこと。懲役1年2か月の実刑判決という、最小限といっていい実刑判決に持ち込んだ。既に2009年2月16日に収監。もしかしたら、もう出所しているのかもしれない。本書では最後に中国での事業展開の展望も語っている。彼は無実の主張よりも、いち早い社会復帰を行ない、もう一勝負する道を選んだ。
彼は賢い選択をした思う。長期の裁判で無罪を勝ち取るより、早く社会復帰して反省した態度で仕事で結果を出すほうが、汚名返上できるだろうから。自分が同じ立場でも、この道を選んだだろう。
虚構　堀江と私とライブドア

]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=kinokoru-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as1&#038;asins=4062140233&#038;fc1=000000&#038;IS2=1&#038;lt1=_blank&#038;m=amazon&#038;lc1=0000FF&#038;bc1=000000&#038;bg1=FFFFFF&#038;f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe></p>
<p>ライブドアのNo.2だった宮内氏のライブドア事件に対する著書。</p>
<p>ホリエモンを全面批判しているわけでもない。むしろ一緒に歩んできた軌跡は、彼の中でかけがえのない人生の一ページであるようだ。ホリエモンは天才と高く評価している。ただ、結果をすぐに求めるばかりに飽きやすいことが弱点だとも言っている。</p>
<p>宮内氏の主張はおおまかにこのような内容。</p>
<ul>
<li>堀江氏の執拗な企業成長を数字で示すことへの固執により、粉飾に走ってしまった
</li>
<li>そもそも、その処理が粉飾決算に相当すると思っていなかった
</li>
<li>堀江氏が100億円ほどの個人利益を得たことから、彼の事業への関心が急速に薄れていった
</li>
<li>その後は、自分がライブドアの舵取りをやっていたのは事実
</li>
<li>しかし、あくまでライブドアは堀江氏の会社である。逐一堀江氏の報告はしており、「知らなかった、宮内氏がすべてやったこと」という主張はおかしい
</li>
</ul>
<p>先日読んだ江副氏のリクルート事件の話と合わせて読んでみて思うのだが、やっぱりこういった事件には検察側で筋書きが用意されているということだ。へたに真っ向から勝負すると事態はかえって悪くなる。検察側のシナリオを理解した上で、どうすれば自分の刑が最小限になるかを考えるべきなのである。宮内氏が言うように、国家権力には逆らえないのだから。</p>
<p>そもそもリクルート事件もライブドア事件も、立件された内容の中には、当時の法律の上では違法性が無いことも、たくさんあるのだろう。しかし、それが第三者から見てモラルに反することではないか？悪く勘ぐられる可能性があるものではないか？は、十分考えた上で行動しなくてはならない。これらの事件において検察側がいたずらに職権乱用している、とは自分は思わない。</p>
<p>そもそも法律など人間が作ったルールなので、時代の流れと共に抜け穴が出てくるのは必然である。その穴をくぐっていいのかどうかは、個人のモラルで判断しないといけない。違法性が無いから訴えられる筋合いはないと言っても、社会を混乱させる可能性があるのなら、それは罰せられるのだ。あくまで企業は社会活動のためにあるのであり、社会に何かしらの貢献をするためにあるのだから。金さえ儲かれば後のことは知らないという態度では駄目である。たとえ、そう思っていなくても世間にそう見えたらアウト。逆に金さえ儲かればいいと思っていても、世間にそう見えないように振舞う必要がある。</p>
<p>リクルート事件の未公開株を政治家へばらまいたのも、本人に賄賂の意図はなくとも世間は疑うだろう。ライブドア事件も、世間から見れば、法さえ犯さなければ、どんな手段でも金儲けしていいと判断されても仕方がないビジネスモデルだった。想像力の欠如が招いた事件とも言えるだろう。</p>
<p>宮内氏が賢かったのは、検察のシナリオを理解して、法を犯す意図は無かったとしても、確かに世間から見ればそう捉えられても仕方がないと認めたこと。懲役1年2か月の実刑判決という、最小限といっていい実刑判決に持ち込んだ。既に2009年2月16日に収監。もしかしたら、もう出所しているのかもしれない。本書では最後に中国での事業展開の展望も語っている。彼は無実の主張よりも、いち早い社会復帰を行ない、もう一勝負する道を選んだ。</p>
<p>彼は賢い選択をした思う。長期の裁判で無罪を勝ち取るより、早く社会復帰して反省した態度で仕事で結果を出すほうが、汚名返上できるだろうから。自分が同じ立場でも、この道を選んだだろう。</p>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062140233?ie=UTF8&#038;tag=kinokoru-22&#038;linkCode=as2&#038;camp=247&#038;creative=1211&#038;creativeASIN=4062140233">虚構　堀江と私とライブドア</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=kinokoru-22&#038;l=as2&#038;o=9&#038;a=4062140233" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /></p>
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		<title>悪循環を断つためにも後輩に苦労自慢しちゃだめ</title>
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		<pubDate>Sun, 29 Aug 2010 11:30:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kinokoru</dc:creator>
				<category><![CDATA[仕事・労働・ニート]]></category>

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		<description><![CDATA[
高校野球、選手を守らず「教育」とは片腹痛いね
<a href="http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20100828/p1">http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20100828/p1</a>
個人的に語り口調が好きで読んでるtumiyamaさんのブログ。この人も根性論否定な事、言ってくれてるのがうれしかったり。
自分は野球自体あまり好きじゃないので高校野球も見ないのだけど・・・そもそも野球が好きでない理由は、理不尽な上下関係、根性論の巣窟というイメージを学生の時に持ってしまったのが一因かな。なんか小学校の時も強制的にやらされたし。残ってノックさせられたな。別に野球興味ねーっての。あんとき指導してた奴は、「こう言うやつが将来、駄目な奴になるんだ」ってな目で見てたと思う。
以来、自分は、学生の時から理不尽な根性論強要や上下関係の存在する場を避けてきた。てかなんで１年２年しか違わない相手に奴隷のごとく従わなければならないんだ。当時から疑問だった。
@tumiyamaさんが指摘してるように、体壊すまで高校野球やること強要してたら、そらブラック企業もなくならないよ。もうホント、奴隷生産教育としかいいようがないね。それで、この奴隷教育に馴染めなかった人間は、自分は間違ってないと目覚めるか、自分はダメ人間だと思い込んじゃうかだな。
自分の場合、間違ってないと思ってはいたけど、やっぱりどこかで自分は駄目人間じゃないかと後ろめたい気持ちもあった。そして今でもそれがコンプレックスであると同時に、反骨精神の根源にもなってる。俺はダメ人間と評価されてきたが、間違ってないことを自分の身を持って証明してやる！みたいな。ええ結構、執念深い人間なんです。原動力は怒り。俺を見下してきた大人が老いてしょぼくれた老後送ってるの見て嘲笑いたいです。根性悪いですねｗ
なんか高校野球で才能ある人が、無理強要されて将来プロ野球選手として活躍できたかもしれない才能を潰されてしまってるのだとしたら、本当に腹立たしい。

合わせて８割強の選手たちが体罰を肯定するのです。

悲しい性ですね。これってリーマン連中が残業代カット、ボーナスカットの理不尽な環境に腹を立ててつつ、周囲が定時帰ると「お前は、なってない」って叱りつけるのと同じ構図ですよね・・・
自分たち目覚めた人間から悪循環を断つようにしないと

]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>高校野球、選手を守らず「教育」とは片腹痛いね<br />
<a href="http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20100828/p1">http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20100828/p1</a></p>
<p>個人的に語り口調が好きで読んでるtumiyamaさんのブログ。この人も根性論否定な事、言ってくれてるのがうれしかったり。</p>
<p>自分は野球自体あまり好きじゃないので高校野球も見ないのだけど・・・そもそも野球が好きでない理由は、理不尽な上下関係、根性論の巣窟というイメージを学生の時に持ってしまったのが一因かな。なんか小学校の時も強制的にやらされたし。残ってノックさせられたな。別に野球興味ねーっての。あんとき指導してた奴は、「こう言うやつが将来、駄目な奴になるんだ」ってな目で見てたと思う。</p>
<p>以来、自分は、学生の時から理不尽な根性論強要や上下関係の存在する場を避けてきた。てかなんで１年２年しか違わない相手に奴隷のごとく従わなければならないんだ。当時から疑問だった。</p>
<p>@tumiyamaさんが指摘してるように、体壊すまで高校野球やること強要してたら、そらブラック企業もなくならないよ。もうホント、奴隷生産教育としかいいようがないね。それで、この奴隷教育に馴染めなかった人間は、自分は間違ってないと目覚めるか、自分はダメ人間だと思い込んじゃうかだな。</p>
<p>自分の場合、間違ってないと思ってはいたけど、やっぱりどこかで自分は駄目人間じゃないかと後ろめたい気持ちもあった。そして今でもそれがコンプレックスであると同時に、反骨精神の根源にもなってる。俺はダメ人間と評価されてきたが、間違ってないことを自分の身を持って証明してやる！みたいな。ええ結構、執念深い人間なんです。原動力は怒り。俺を見下してきた大人が老いてしょぼくれた老後送ってるの見て嘲笑いたいです。根性悪いですねｗ</p>
<p>なんか高校野球で才能ある人が、無理強要されて将来プロ野球選手として活躍できたかもしれない才能を潰されてしまってるのだとしたら、本当に腹立たしい。</p>
<pre>
合わせて８割強の選手たちが体罰を肯定するのです。
</pre>
<p>悲しい性ですね。これってリーマン連中が残業代カット、ボーナスカットの理不尽な環境に腹を立ててつつ、周囲が定時帰ると「お前は、なってない」って叱りつけるのと同じ構図ですよね・・・</p>
<p>自分たち目覚めた人間から悪循環を断つようにしないと</p>
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		<title>リクルート事件・江副浩正の真実</title>
		<link>http://kinokoru.info/?p=436</link>
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		<pubDate>Sun, 29 Aug 2010 11:02:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kinokoru</dc:creator>
				<category><![CDATA[書評・感想]]></category>

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		<description><![CDATA[

最近、ホリエモンが田原総一朗氏との対談で、リクルート事件は冤罪だという話があったので、この本を読むことにした。
リクルート事件の当時、自分はまだ中学生であり、マスコミで連日報道していたのは覚えているが、事件の概要には詳しくなかった。今回、本書を読むと同時に、ネットでも事件の概要を調べた。難しい事件である。
検察による強引な取調べ
本書でしきりに描かれているのが、検察で描かれたシナリオに沿った形で調書が取れるまで、検察官が攻め続ける姿だ。暴力こそ振るわないが精神的に追い詰めていく。調書に署名しないと、現社長や親交のある他の人間も逮捕するぞと脅してくる。
しかし検察官もオカミの駒でしか無い。最後は、調書を取らないと俺も困るんだと、泣きついてくる。それは演技ではなく権力の狭間で生きる人間の本当に切羽詰まった心情だったようだ。結局、彼らの泣き落としに抵抗できず、事実と異なる内容に署名してしまったのだと、江副氏本人は言う。
これが本当だとして、江副氏の懐の深いと思わせるところは、裁判が終結した後、自分を苦しめた検事と偶然会って談笑を交わすエピソード。常人ならこうはいかないだろう。江副氏は、彼ら個人に憎しみはない、構造的な問題を正さないといけないのだと言う。
リクルート事件はでっちあげの冤罪か？
一番スキャンダルになった部分は、リクルートの子会社リクルートコスモスの未公開株の譲渡問題である。財界、政界、広範囲にばらまかれていた。これを賄賂と取るかどうか。そもそも未公開株を知人に譲渡するということ自体は賄賂性は低い。ただ政治家が相手だと世間の目は厳しくなる。野党からは格好のターゲットになるし、マスコミも叩きやすい。
江副氏本人は、賄賂の意図はなかったのは確かなように思える。情報ビジネスで成り上がったリクルート社は、当時の財界では異端として捉えられていたそうだ。そこで江副氏は、財界でのコネクションを広げようとして、多数の人と交流を持った。本人は「自分が寂しがり屋なのが災いしたのかも」と言っている。
賄賂の意図は無かったこと、検察の取調べについて不本意だと述べつつも、多数の人に迷惑をかけてしまったこと、当時の政局を混乱に陥れた原因を作ったことについては、本人は深く反省しているようだ。本書は、ただ自分は無罪だと訴える本ではない。
出る杭は打たれるというが、やはり一企業の主として、自分の行動がどういう結果を生むのか、しっかり考えておかなければならなかったのは事実だと思う。

]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=kinokoru-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as1&#038;asins=4120040763&#038;fc1=000000&#038;IS2=1&#038;lt1=_blank&#038;m=amazon&#038;lc1=0000FF&#038;bc1=000000&#038;bg1=FFFFFF&#038;f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe></p>
<p>最近、ホリエモンが田原総一朗氏との対談で、リクルート事件は冤罪だという話があったので、この本を読むことにした。</p>
<p>リクルート事件の当時、自分はまだ中学生であり、マスコミで連日報道していたのは覚えているが、事件の概要には詳しくなかった。今回、本書を読むと同時に、ネットでも事件の概要を調べた。難しい事件である。</p>
<h3>検察による強引な取調べ</h3>
<p>本書でしきりに描かれているのが、検察で描かれたシナリオに沿った形で調書が取れるまで、検察官が攻め続ける姿だ。暴力こそ振るわないが精神的に追い詰めていく。調書に署名しないと、現社長や親交のある他の人間も逮捕するぞと脅してくる。</p>
<p>しかし検察官もオカミの駒でしか無い。最後は、調書を取らないと俺も困るんだと、泣きついてくる。それは演技ではなく権力の狭間で生きる人間の本当に切羽詰まった心情だったようだ。結局、彼らの泣き落としに抵抗できず、事実と異なる内容に署名してしまったのだと、江副氏本人は言う。</p>
<p>これが本当だとして、江副氏の懐の深いと思わせるところは、裁判が終結した後、自分を苦しめた検事と偶然会って談笑を交わすエピソード。常人ならこうはいかないだろう。江副氏は、彼ら個人に憎しみはない、構造的な問題を正さないといけないのだと言う。</p>
<h3>リクルート事件はでっちあげの冤罪か？</h3>
<p>一番スキャンダルになった部分は、リクルートの子会社リクルートコスモスの未公開株の譲渡問題である。財界、政界、広範囲にばらまかれていた。これを賄賂と取るかどうか。そもそも未公開株を知人に譲渡するということ自体は賄賂性は低い。ただ政治家が相手だと世間の目は厳しくなる。野党からは格好のターゲットになるし、マスコミも叩きやすい。</p>
<p>江副氏本人は、賄賂の意図はなかったのは確かなように思える。情報ビジネスで成り上がったリクルート社は、当時の財界では異端として捉えられていたそうだ。そこで江副氏は、財界でのコネクションを広げようとして、多数の人と交流を持った。本人は「自分が寂しがり屋なのが災いしたのかも」と言っている。</p>
<p>賄賂の意図は無かったこと、検察の取調べについて不本意だと述べつつも、多数の人に迷惑をかけてしまったこと、当時の政局を混乱に陥れた原因を作ったことについては、本人は深く反省しているようだ。本書は、ただ自分は無罪だと訴える本ではない。</p>
<p>出る杭は打たれるというが、やはり一企業の主として、自分の行動がどういう結果を生むのか、しっかり考えておかなければならなかったのは事実だと思う。</p>
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		<title>唯物論 &#8211; 青木雄二</title>
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		<pubDate>Sat, 28 Aug 2010 12:40:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kinokoru</dc:creator>
				<category><![CDATA[書評・感想]]></category>
		<category><![CDATA[無神論・不可知論]]></category>

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		<description><![CDATA[

冒頭部分を読んで、唯物論についてがっつり書いてあるのかと思って購入したのだが、実際は金と女の話ばかりだった（笑）。でも、まあ楽しめました。著者の「ナニワ金融道」を読んだことはないけど・・・
犯罪を促すようなことを書いてたり、青色申告せずにどんぶり勘定白色申告の方が得とか、最近の若者は～だから駄目、とか賛同できない部分も結構あった。筆者が傾倒する共産主義も支持できない。だけど、唯物論、無神論的な考え方には賛同。13年前に書かれた本であるが、今の日本の状況を予期している面もある。労働者は奴隷である、資本主義社会は階級社会であると、きっぱり言っている。13年前に、バブル崩壊後とはいえ、高度成長期に生きた人で、こういうこと言える人はなかなかいなかっただろう。
本書のあとがきにあるメッセージは力強く非常に共感できる。

オウムに限らず宗教のイカンところはどうしても、あの世とか、霊魂の存在を出すことや。つまり宗教は観念論で人間を洗脳してしまうのやな。
～中略～
わしの主張しとる唯物論哲学は、これに真っ向から対立するのや。死んだら無になるだけであってね。あの世とか地獄とかを思うこと自体が間違いだということなんや。
こう言い換えてもええ。神は人間が何かにおびえる心が創りだしたものであって、神が人間を創ったのでは、断じてない！

著者は冒頭で、唯物論は現実をあるがままに見るということに対して、観念論は現実をあるがままに見ずに、「あると思う」ことを基準に考えることとしている。労働の美徳も,
資本主義社会の中で、ピラミッドの頂点にいる人間が下層の人間を洗脳するための観念論でしか無いという件には、まったくもって同意である。
ちなみに13年前に書かれたものなので無理もないが、著者が「あるもの」と思う学歴至上主義も自分は既に観念論だと思っていた。そして学歴至上主義も崩壊しつつある。
著者の青木雄二氏は、ナニワ金融道で儲けて一生暮らせる金ができたと漫画家から引退、本書のような執筆活動はしていたが、悠々自適に暮らしていたそうだ。自分も目指すセミリタイヤってやつですね。しかし引退から6年後の2003年に58歳という若さでこの世を去ったらしい。唯物論者らしく無宗派での葬式で戒名もつけなかったとか。

]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=kinokoru-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as1&#038;asins=4198607605&#038;fc1=000000&#038;IS2=1&#038;lt1=_blank&#038;m=amazon&#038;lc1=0000FF&#038;bc1=000000&#038;bg1=FFFFFF&#038;f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe></p>
<p>冒頭部分を読んで、唯物論についてがっつり書いてあるのかと思って購入したのだが、実際は金と女の話ばかりだった（笑）。でも、まあ楽しめました。著者の「ナニワ金融道」を読んだことはないけど・・・</p>
<p>犯罪を促すようなことを書いてたり、青色申告せずにどんぶり勘定白色申告の方が得とか、最近の若者は～だから駄目、とか賛同できない部分も結構あった。筆者が傾倒する共産主義も支持できない。だけど、唯物論、無神論的な考え方には賛同。13年前に書かれた本であるが、今の日本の状況を予期している面もある。労働者は奴隷である、資本主義社会は階級社会であると、きっぱり言っている。13年前に、バブル崩壊後とはいえ、高度成長期に生きた人で、こういうこと言える人はなかなかいなかっただろう。</p>
<p>本書のあとがきにあるメッセージは力強く非常に共感できる。</p>
<pre>
オウムに限らず宗教のイカンところはどうしても、あの世とか、霊魂の存在を出すことや。つまり宗教は観念論で人間を洗脳してしまうのやな。
～中略～
わしの主張しとる唯物論哲学は、これに真っ向から対立するのや。死んだら無になるだけであってね。あの世とか地獄とかを思うこと自体が間違いだということなんや。
こう言い換えてもええ。神は人間が何かにおびえる心が創りだしたものであって、神が人間を創ったのでは、断じてない！
</pre>
<p>著者は冒頭で、唯物論は現実をあるがままに見るということに対して、観念論は現実をあるがままに見ずに、「あると思う」ことを基準に考えることとしている。労働の美徳も,<br />
資本主義社会の中で、ピラミッドの頂点にいる人間が下層の人間を洗脳するための観念論でしか無いという件には、まったくもって同意である。</p>
<p>ちなみに13年前に書かれたものなので無理もないが、著者が「あるもの」と思う学歴至上主義も自分は既に観念論だと思っていた。そして学歴至上主義も崩壊しつつある。</p>
<p>著者の青木雄二氏は、ナニワ金融道で儲けて一生暮らせる金ができたと漫画家から引退、本書のような執筆活動はしていたが、悠々自適に暮らしていたそうだ。自分も目指すセミリタイヤってやつですね。しかし引退から6年後の2003年に58歳という若さでこの世を去ったらしい。唯物論者らしく無宗派での葬式で戒名もつけなかったとか。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>根性論が人生をダメにする</title>
		<link>http://kinokoru.info/?p=417</link>
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		<pubDate>Mon, 23 Aug 2010 14:38:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kinokoru</dc:creator>
				<category><![CDATA[仕事・労働・ニート]]></category>

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		<description><![CDATA[
【書評】野球を学問する/著　桑田真澄・平田竹男
<a href="http://thewisdomofcrowds-jp.com/2010/08/22/sr001/">http://thewisdomofcrowds-jp.com/2010/08/22/sr001/</a>
激しく同意なブログ記事。
前にも書いたけど、若い頃日雇いバイトやってたときに、定年退職した人たちもたくさんいた。彼らは一生懸命会社のために何十年と仕事仕事で生きてきたが、定年になっても居場所がない、やりたいことがない。だから、日雇労働に出ていた。愚痴ばかり言ってたし、楽しい時は酒とシモネタの話くらいだった。程度が低い人間にしか見えなかった。祖父も、貧困に耐えて必死に頑張ってきたけど、晩年は誰とも話さず部屋にこもりっきりだった。うちの親父も自分に厳しく努力根性でやってきたが、視野が狭く効率化を無視した面があり、能力に見合わない結果になってしまった。（現在、挽回中。最近、根性論に陰りが見え始めたｗ）
自分は努力根性論が大嫌いです。体育会系の努力根性論を唱える汗臭い奴らも大嫌いだったし、奴らの不条理な上下関係も大嫌いだった。学生の頃からそういう事から逃げてきた。そんな自分をダメ人間なんじゃないか？という後ろめたい気持ちもずっとあった。
そんな自分が真剣に打ち込むことができ出来たのがプログラミングだった。そして天職になった。始めた頃は朝から晩まで食事の時間も惜しまず没頭した。
でも、それは努力根性からじゃない。本当に好きだったから夢中になれただけ。
それが自分の人生を変えた。まるっきりのダメ人間ではなかったことも証明された。
実際、学生の時、厳しい上下関係の部活動やってた連中も、大学ではダラダラやってるのも多かった。だから努力根性ありきでやってたものって意外と継続しないと思う。本当に好きでやってる人間には叶わない。本当に希望を持ってやってる人間は強い。現役スポーツ選手で努力根性論唱える連中も、自分で気づいてないだけで本当は好きでやってるだけだと思う。
また、努力根性論を盾にする人間ほど人に辛く当たる。人に優しくなれない、したことがない。また努力と結果が比例しないことに薄々は感じていて、そこに腹立たしい思いを抱えていたりする。そして金持ちや才能のある若い人間に嫉妬する。若者に根性論を強要する。性格も歪んでくる。結局、彼らは苦しみを伝染させることしかしてない。だから、人が遠ざかっていく。晩年、孤独な老後が待っている。切れる老人になるのって、こういうタイプだと思う。
人生を豊かにしない根拠ないものを信じるという点において、自分は根性論もまた一種の宗教だと思う
自分の好きなことを見つけてやりぬくこと、そしてそれを通じて出会った仲間を大切にして、利益を共有すること。恩をきちんと返すこと。それが自分も周囲も幸せになれる方法だと思う。金銭的にも精神的にも。セコセコ働く姿は醜いし貧乏臭いし、実際そこから一生抜けれられない。
一生懸命頑張った。それだけを唯一の誇りとして死ぬのはごめんです。

]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>【書評】野球を学問する/著　桑田真澄・平田竹男<br />
<a href="http://thewisdomofcrowds-jp.com/2010/08/22/sr001/">http://thewisdomofcrowds-jp.com/2010/08/22/sr001/</a><br />
激しく同意なブログ記事。</p>
<p>前にも書いたけど、若い頃日雇いバイトやってたときに、定年退職した人たちもたくさんいた。彼らは一生懸命会社のために何十年と仕事仕事で生きてきたが、定年になっても居場所がない、やりたいことがない。だから、日雇労働に出ていた。愚痴ばかり言ってたし、楽しい時は酒とシモネタの話くらいだった。程度が低い人間にしか見えなかった。祖父も、貧困に耐えて必死に頑張ってきたけど、晩年は誰とも話さず部屋にこもりっきりだった。うちの親父も自分に厳しく努力根性でやってきたが、視野が狭く効率化を無視した面があり、能力に見合わない結果になってしまった。（現在、挽回中。最近、根性論に陰りが見え始めたｗ）</p>
<p>自分は努力根性論が大嫌いです。体育会系の努力根性論を唱える汗臭い奴らも大嫌いだったし、奴らの不条理な上下関係も大嫌いだった。学生の頃からそういう事から逃げてきた。そんな自分を<strong>ダメ人間なんじゃないか？</strong>という後ろめたい気持ちもずっとあった。</p>
<p>そんな自分が真剣に打ち込むことができ出来たのがプログラミングだった。そして天職になった。始めた頃は朝から晩まで食事の時間も惜しまず没頭した。</p>
<p><strong>でも、それは努力根性からじゃない。本当に好きだったから夢中になれただけ。</strong></p>
<p>それが自分の人生を変えた。まるっきりのダメ人間ではなかったことも証明された。</p>
<p>実際、学生の時、厳しい上下関係の部活動やってた連中も、大学ではダラダラやってるのも多かった。だから努力根性ありきでやってたものって意外と継続しないと思う。本当に好きでやってる人間には叶わない。本当に希望を持ってやってる人間は強い。現役スポーツ選手で努力根性論唱える連中も、自分で気づいてないだけで本当は好きでやってるだけだと思う。</p>
<p>また、努力根性論を盾にする人間ほど人に辛く当たる。人に優しくなれない、したことがない。また努力と結果が比例しないことに薄々は感じていて、そこに腹立たしい思いを抱えていたりする。そして金持ちや才能のある若い人間に嫉妬する。若者に根性論を強要する。性格も歪んでくる。結局、彼らは苦しみを伝染させることしかしてない。だから、人が遠ざかっていく。晩年、孤独な老後が待っている。切れる老人になるのって、こういうタイプだと思う。</p>
<p><strong>人生を豊かにしない根拠ないものを信じるという点において、自分は根性論もまた一種の宗教だと思う</strong></p>
<p>自分の好きなことを見つけてやりぬくこと、そしてそれを通じて出会った仲間を大切にして、利益を共有すること。恩をきちんと返すこと。それが自分も周囲も幸せになれる方法だと思う。金銭的にも精神的にも。セコセコ働く姿は醜いし貧乏臭いし、実際そこから一生抜けれられない。</p>
<p><strong>一生懸命頑張った。それだけを唯一の誇りとして死ぬのはごめんです。</strong></p>
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		<title>闘うプログラマー</title>
		<link>http://kinokoru.info/?p=411</link>
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		<pubDate>Sun, 22 Aug 2010 13:53:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kinokoru</dc:creator>
				<category><![CDATA[プログラマ・プログラム]]></category>
		<category><![CDATA[書評・感想]]></category>

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		<description><![CDATA[

Windows 2000やWindows XPの基板となったOS、Windows NTの開発に携わった人々の話。闘うプログラマとなっているのは、マイクロソフトの伝統としてプロジェクト管理者もプログラマでなければ話にならないというのがあるからだ。Windows NTプロジェクトの統括者ですら、人手が足らなかったり必要とあらばプログラムを書いている。
そしてまあ皆猛烈に働いてます。アメリカ人とはいえ、こういうプロジェクトに携わったら、血を吐くような勢いで働かないといけない。休日の無い生活、いつ終わるかわからないプロジェクト、それによる家庭の崩壊・・・まあ自分がゲーム業界で働いてた環境と一緒ですね（笑）。終盤のバグの嵐の話なんかリアルに自分を投影できる。自分もプログラマ二人で１０００のバグを取った事があったなあ。それもいい思い出。この本にあるようにそれが「人生最良の時」とはとても思えないけど（笑）。
NTのプロジェクトが終わって、燃え尽きて辞めてしまった人、社内で違う部門に移った人も多い。自分の場合、３０歳になったら独立というのもあったけど、やっぱり毎日あまりに１つの仕事に投入する時間が大きすぎることに疑問を持たざるを得なかった。しかもそれだけやっても、報いがないことって多々あるからね。この業界。
ビル・ゲイツは純粋にマイクロフトこそが正しいコンピュータの未来を築けると思っていたのかもしれない。だから自分たちが市場を支配するべきなのだと。しかし社名のマイクロとは程遠いくらいの大きい存在になって影響力も強くなると、妬みや嫉妬の対象となり、独占禁止法の疑いで叩かれるハメになる。ビル・ゲイツが慈善活動家になったのも、頑張ってきたことへの落胆の気持ちが一部あるのかもしれない。
プログラミングの呪文は全く正確でなければならない。一つの文字や空白が抜けているだけで魔法は効かなくなる。人間の活動で完璧さを求められるものはほとんどない。しかしプログラミングは、完璧に近づくことを要求される。
まさにそのとおり。自分が人生においても論理が大事だと考えるきっかけも、この仕事の影響なんだろうなあ。あとNTのような重要なプロジェクトで３０代過ぎてもプログラマやってるの普通にいますね。やっぱり３５歳で限界とかくだらないです。俺も一生、闘うプログラマでいよっと！

]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=kinokoru-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as1&#038;asins=4822247570&#038;fc1=000000&#038;IS2=1&#038;lt1=_blank&#038;m=amazon&#038;lc1=0000FF&#038;bc1=000000&#038;bg1=FFFFFF&#038;f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe></p>
<p>Windows 2000やWindows XPの基板となったOS、Windows NTの開発に携わった人々の話。闘うプログラマとなっているのは、マイクロソフトの伝統としてプロジェクト管理者もプログラマでなければ話にならないというのがあるからだ。Windows NTプロジェクトの統括者ですら、人手が足らなかったり必要とあらばプログラムを書いている。</p>
<p>そしてまあ皆猛烈に働いてます。アメリカ人とはいえ、こういうプロジェクトに携わったら、血を吐くような勢いで働かないといけない。休日の無い生活、いつ終わるかわからないプロジェクト、それによる家庭の崩壊・・・まあ自分がゲーム業界で働いてた環境と一緒ですね（笑）。終盤のバグの嵐の話なんかリアルに自分を投影できる。自分もプログラマ二人で１０００のバグを取った事があったなあ。それもいい思い出。この本にあるようにそれが「人生最良の時」とはとても思えないけど（笑）。</p>
<p>NTのプロジェクトが終わって、燃え尽きて辞めてしまった人、社内で違う部門に移った人も多い。自分の場合、３０歳になったら独立というのもあったけど、やっぱり毎日あまりに１つの仕事に投入する時間が大きすぎることに疑問を持たざるを得なかった。しかもそれだけやっても、報いがないことって多々あるからね。この業界。</p>
<p>ビル・ゲイツは純粋にマイクロフトこそが正しいコンピュータの未来を築けると思っていたのかもしれない。だから自分たちが市場を支配するべきなのだと。しかし社名のマイクロとは程遠いくらいの大きい存在になって影響力も強くなると、妬みや嫉妬の対象となり、独占禁止法の疑いで叩かれるハメになる。ビル・ゲイツが慈善活動家になったのも、頑張ってきたことへの落胆の気持ちが一部あるのかもしれない。</p>
<p>プログラミングの呪文は全く正確でなければならない。一つの文字や空白が抜けているだけで魔法は効かなくなる。人間の活動で完璧さを求められるものはほとんどない。しかしプログラミングは、完璧に近づくことを要求される。</p>
<p>まさにそのとおり。自分が人生においても論理が大事だと考えるきっかけも、この仕事の影響なんだろうなあ。あとNTのような重要なプロジェクトで３０代過ぎてもプログラマやってるの普通にいますね。やっぱり３５歳で限界とかくだらないです。俺も一生、闘うプログラマでいよっと！</p>
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		<title>「自分を追い詰めない。環境が悪い。」に染まってはいけない</title>
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		<pubDate>Sun, 22 Aug 2010 02:47:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kinokoru</dc:creator>
				<category><![CDATA[クリティカル・シンキング]]></category>
		<category><![CDATA[仕事・労働・ニート]]></category>
		<category><![CDATA[自己啓発]]></category>

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		<description><![CDATA[
「自分を追い詰めない。環境が悪いのだ。」
よくこういった発言がネット上で見られる。こういう発言を支持する人って、何でもかんでも世の中が悪い社会が悪い、そして恨み節を言い続ける人が多いように思う。
結局、自分を追い詰めてる人ってテンパって周りが見えてないのだと思う。人生はかくあるべきっていう世間の幻想をモノサシにして自分自身を測っている。
世間の常識に囚われなくていい
たとえばイジメの問題に悩んだ挙句、自分を追い詰めてしまって自殺してしまう中学生とかいる。彼らは家庭と学校だけが生きる世界の全てと捉えているのだと思う。楽しい学生生活を送ってる子供だってそういう感覚だろう。社会経験がないのだから無理もないことなんだけど。
でも、大人になって考えてみたら、学校に行かないって選択肢もあるんじゃない？通信教育でもいいよね、という発想もできる。まあ、これが子供を抱える親になっちゃうと、何としてでも学校に行かせるべきという妄想にとりつかれちゃうんだけど。でも、自分が中学生に戻っていじめられて、誰にも相手にされなくなったらどうするかって考えたら、行かないって選択肢もあるってわかるはず。
結局、大人になってからの問題も同じ。閉じた世界の閉じた価値観に縛られていることが原因。
学歴がない、就職できない、彼女ができない、結婚ができない。確かに環境が悪い面もあるけど、それで自分をダメな人間なんだと追い詰めてる原因は、自分を世間のモノサシに当てはめようとしてることだと思う。
確かにお金の問題は重要なので、何かしら労働の対価で得る必要はある。けれど、そのために必ずしも嫌なことを我慢し続け無いといけないわけじゃない。好きなことややりたい事を極めて仕事にすることだって出来る。海外ニートさんみたいに労働条件の厳しい日本を離れて、海外移住という手もある。
結婚だって別にしなくてもいい。モテないなら、それはそれで事実として受け止めればいい。それで男（女）として欠陥があるのだと追い詰める必要はない。彼女がいれば、嫁がいれば無条件に幸せなわけじゃない。それを絶対的な幸福条件と思わなくていい。他に自分を幸福に導く手段はいくらだってあるって気づくべきだ。
結局は考え方の問題。常識に囚われなければ人生の選択肢は増えていく。
これに対して「自分は悪くない、環境が悪い」という考えに溺れてしまうと、恨み節ばかりの人生になってしまう。世界も歪んでみえてしまう。自分の可能性も閉じてしまう。ちっとも人生楽しくない。だから、「あなたは悪くない、環境のせいなのだ」という短絡的な考えが蔓延していくのは、良くないことだと思う。
自分を追い詰める必要はない、自分の考え方を変えるだけでいい。

]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「自分を追い詰めない。環境が悪いのだ。」<br />
よくこういった発言がネット上で見られる。こういう発言を支持する人って、何でもかんでも世の中が悪い社会が悪い、そして恨み節を言い続ける人が多いように思う。</p>
<p>結局、自分を追い詰めてる人ってテンパって周りが見えてないのだと思う。人生はかくあるべきっていう世間の幻想をモノサシにして自分自身を測っている。</p>
<h3>世間の常識に囚われなくていい</h3>
<p>たとえばイジメの問題に悩んだ挙句、自分を追い詰めてしまって自殺してしまう中学生とかいる。彼らは家庭と学校だけが生きる世界の全てと捉えているのだと思う。楽しい学生生活を送ってる子供だってそういう感覚だろう。社会経験がないのだから無理もないことなんだけど。</p>
<p>でも、大人になって考えてみたら、学校に行かないって選択肢もあるんじゃない？通信教育でもいいよね、という発想もできる。まあ、これが子供を抱える親になっちゃうと、何としてでも学校に行かせるべきという妄想にとりつかれちゃうんだけど。でも、自分が中学生に戻っていじめられて、誰にも相手にされなくなったらどうするかって考えたら、行かないって選択肢もあるってわかるはず。</p>
<p><strong>結局、大人になってからの問題も同じ。閉じた世界の閉じた価値観に縛られていることが原因。</strong></p>
<p>学歴がない、就職できない、彼女ができない、結婚ができない。確かに環境が悪い面もあるけど、それで自分をダメな人間なんだと追い詰めてる原因は、自分を世間のモノサシに当てはめようとしてることだと思う。</p>
<p>確かにお金の問題は重要なので、何かしら労働の対価で得る必要はある。けれど、そのために必ずしも嫌なことを我慢し続け無いといけないわけじゃない。好きなことややりたい事を極めて仕事にすることだって出来る。海外ニートさんみたいに労働条件の厳しい日本を離れて、海外移住という手もある。</p>
<p>結婚だって別にしなくてもいい。モテないなら、それはそれで事実として受け止めればいい。それで男（女）として欠陥があるのだと追い詰める必要はない。彼女がいれば、嫁がいれば無条件に幸せなわけじゃない。それを絶対的な幸福条件と思わなくていい。他に自分を幸福に導く手段はいくらだってあるって気づくべきだ。</p>
<p><strong>結局は考え方の問題。常識に囚われなければ人生の選択肢は増えていく。</strong></p>
<p>これに対して「自分は悪くない、環境が悪い」という考えに溺れてしまうと、恨み節ばかりの人生になってしまう。世界も歪んでみえてしまう。自分の可能性も閉じてしまう。ちっとも人生楽しくない。だから、「あなたは悪くない、環境のせいなのだ」という短絡的な考えが蔓延していくのは、良くないことだと思う。</p>
<p><strong>自分を追い詰める必要はない、自分の考え方を変えるだけでいい。</strong></p>
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		</item>
		<item>
		<title>現代人の道徳の欠如は宗教心の欠如からなのか？</title>
		<link>http://kinokoru.info/?p=398</link>
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		<pubDate>Sat, 21 Aug 2010 16:33:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kinokoru</dc:creator>
				<category><![CDATA[クリティカル・シンキング]]></category>
		<category><![CDATA[無神論・不可知論]]></category>

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		<description><![CDATA[
たまに今の日本人の心が病んでいるのは、宗教心の欠如が原因の一つといった話を見かける。こういう人は、道徳は宗教から学ぶものだと思っているのだろう。道徳の全てを宗教から学ぶべきとは言わないまでも、宗教的な道徳観は必要だと思っている。
人は私利私欲から悪意のある事を行うことがある。強い心を持つ人は自制心が働くが、そうでない人もいる。やってはいけない事をさせないようにするためには、その理由を説く必要がある。その中で最もお手軽なのは「神様が見ているから、悪いことをすると地獄に堕ちる」といった価値観の植えつけである。
自分がこういう価値観が嫌いな大きな理由の１つとして、
結局はそれって自分が助かりたいという私利私欲でしかないよね？
という疑問からだ。
自分の親戚連中は、宗教ではないが、ある祈祷師の占いを信じて崇めていた。狐がついただの祟だのそういうたぐいのものです。（ああ書いてるだけで気持ちが悪いなｗ）彼らはそれで幸せになれると信じつつ、くだらないことで揉めたりして、一部の兄弟を村八分のようなことをしていた。子供ながらに閉鎖的で辛気くさい連中だと思っていた。自分たちに悪いことが起こらないようにという私利私欲の信仰、そして人を不幸にしている矛盾。
こういう経緯もあって、子供の頃から、ご利益とかバチとかそういう概念を徹底して嫌うようになった。
自分には信心深さと道徳心の強さに相関性があるとは全く思えない。
正しいことでも伝わるとは限らない
こういう事を言うと「いや、それは信仰の対象や仕方が間違っているからだよ」と言う人もいるだろう。
自分はお釈迦様の説いた仏教は好きだ。因縁生起という言葉に代表されるように、原因と結果を正しく考える事を重視していて、論理的だからプログラマの自分にはしっくり来る。お釈迦様は、地獄に堕ちるから神様に祈れとか一言も言ってない。むしろそういう根拠ない考えに囚われる事を否定している。
同じように仏教の良さに気づいた人の中には「もっと正しい仏教の教えが伝われば、みんな幸せになれる。悩み多い現代人を救うのはお釈迦様の教えなんだ！」と意気込んじゃう人もいるだろう。でもそれはうまくいきません。なぜなら、あらゆることには原因があって結果があるという基礎的な概念が理解出来ない人たちがいるからです。論理的思考回路が欠如していて、感情でしか物を考えられない人、その考え方が変わらない人はいる。
使命感に燃えて人に伝えようとするが伝わらない。それどころか気持ち悪がらる始末。そして「なぜ、みんな理解できないのだろう」と悲しい気持ちになります。この辺で「理解出来ない人もいるのだ、自分の心にだけとどめておけばいい」となればいいのですが、「何とかして私がみんなを救わないといけない」とさらに意気込んじゃう人もいます。ハイ、危険な流れですね。
オウムは元々は純粋なヨガ道場だったそうだ。麻原自身も目が悪かったこともあり、悩みを抱えていたのだろうが、仏教の教えから救われたのかもしれない。そして同じように仏教の教えに惹かれて人々が集まってきた。そのうち、自分たちこそが世の中を救う使徒なのだと思い始める。選挙に出たのもそのためだろう。しかし選挙に敗れ、得体の知れない集団としてマスコミにも叩かれる。そうして「真理を理解出来ない人間は排除して、選ばれた我々で新しい日本を作ろう」という過激な方向に発展する。
こういう人たちがわかってないのは、人はみなそれぞれだということ。たとえ仏教の教えが真理だとしても理解出来ない人もいるということ。それを押し付けることも、欲であって煩悩でしかない。
いろんな人がいる事を理解しろ。自分と合わないならほっとけ。
ちょっと趣旨とずれてきたけど、要するに言いたいのは、多様な価値観を受け入れられない集団は、おかしくなりやすいということ。また、たとえ最初は素晴らしい教祖であったとしても、権力を実感すると欲が出て変わるということ。仏教的に言うと諸行無常ですね。
人であれ神であれ特定の何かを崇めたり、特定の教えに偏って自分自身で判断を下さないようになるということは、ものすごく危険な事だと思っている。だから自分にとって宗教は人を救うアンサーだとは思えない。
道徳と宗教の分離
全てのことには原因と結果があるという考え、そしてそれを自分で分析して考える事は、ものすごく大事だと思っている。それが満足行く人生を送る力になると思う。そして、そのため手法はクリティカル・シンキングやロジカル・シンキングといった本からも学べます。仏教を通さなくても学べる。
良いことをすれば良いことが巡ってくる、悪いことをすれば悪いことが巡ってくる。これは神様が見てるからじゃない。人を大事にすれば恩を返してくれる、人の怨みを買うことをすれば敵を作って報復にあう。それだけのこと。さらに言うと人のためになることをしても、何も返ってこないこと、理不尽な仕打ちを食らうことだってある。それはそれ。そういうこともあるというだけの話。こういうことは、エッセーや自己啓発本など宗教と関係ない本からだって学べる。だから道徳を学ぶのだって宗教を介する必要は全くない。
あ、ここでそれも私利私欲じゃないかとツッコミ食らうかもしれません。が、自分は別に私利私欲や損得勘定で動くことは否定しません。自分と周囲の人が幸せになるという結果が出ればそれでいい。偽善だろうと私利私欲の副産物でも構わない。

「人類の一番の悲劇は、道徳が宗教にハイジャックされたことだ」
アーサー・チャールズ・クラーク


「人間の倫理は、人情や教育、社会のニーズや結びつきを基本とすべきで、宗教を基本とする必要はない。もし人が死後の見返りの期待や罰の恐怖によって束縛されるなら不幸と言えるであろう」
アルベルト・アインシュタイン

<a href="http://labaq.com/archives/50944400.html">http://labaq.com/archives/50944400.html</a>
らばＱより引用させていただきました。彼らがこういった記事をちょくちょく載せるのは、中の人も無神論者だからかな？
ちなみに自分は、相変わらず宗教や占いや祟なんかを信じる人は、今後もいなくならないと思います。彼らに何かを説くつもりもありません。ただ放っておくだけです。自分の人生楽しむのに忙しいので、そこまで他人に構ってる余裕はありません。
そんな無責任な事はできない？私が救わなければいけないだって？
大きなお世話。誰もあんたに救ってもらうつもりはないよ。
そもそも現代人の道徳って、昔に比べてそんなに欠如してるのかね？信心深くない日本人多いけど、世界じゃトップクラスの道徳心の高さ。
これこそ宗教と道徳は関係ないって証明であって誇るべきでないのかな。

]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>たまに今の日本人の心が病んでいるのは、宗教心の欠如が原因の一つといった話を見かける。こういう人は、道徳は宗教から学ぶものだと思っているのだろう。道徳の全てを宗教から学ぶべきとは言わないまでも、宗教的な道徳観は必要だと思っている。</p>
<p>人は私利私欲から悪意のある事を行うことがある。強い心を持つ人は自制心が働くが、そうでない人もいる。やってはいけない事をさせないようにするためには、その理由を説く必要がある。その中で最もお手軽なのは「神様が見ているから、悪いことをすると地獄に堕ちる」といった価値観の植えつけである。</p>
<p>自分がこういう価値観が嫌いな大きな理由の１つとして、</p>
<p><strong>結局はそれって自分が助かりたいという私利私欲でしかないよね？</strong></p>
<p>という疑問からだ。</p>
<p>自分の親戚連中は、宗教ではないが、ある祈祷師の占いを信じて崇めていた。狐がついただの祟だのそういうたぐいのものです。（ああ書いてるだけで気持ちが悪いなｗ）彼らはそれで幸せになれると信じつつ、くだらないことで揉めたりして、一部の兄弟を村八分のようなことをしていた。子供ながらに閉鎖的で辛気くさい連中だと思っていた。自分たちに悪いことが起こらないようにという私利私欲の信仰、そして人を不幸にしている矛盾。</p>
<p>こういう経緯もあって、子供の頃から、ご利益とかバチとかそういう概念を徹底して嫌うようになった。</p>
<p><strong>自分には信心深さと道徳心の強さに相関性があるとは全く思えない。</strong></p>
<h3>正しいことでも伝わるとは限らない</h3>
<p>こういう事を言うと「いや、それは信仰の対象や仕方が間違っているからだよ」と言う人もいるだろう。</p>
<p>自分はお釈迦様の説いた仏教は好きだ。因縁生起という言葉に代表されるように、原因と結果を正しく考える事を重視していて、論理的だからプログラマの自分にはしっくり来る。お釈迦様は、地獄に堕ちるから神様に祈れとか一言も言ってない。むしろそういう根拠ない考えに囚われる事を否定している。</p>
<p>同じように仏教の良さに気づいた人の中には「もっと正しい仏教の教えが伝われば、みんな幸せになれる。悩み多い現代人を救うのはお釈迦様の教えなんだ！」と意気込んじゃう人もいるだろう。でもそれはうまくいきません。なぜなら、あらゆることには原因があって結果があるという基礎的な概念が理解出来ない人たちがいるからです。論理的思考回路が欠如していて、感情でしか物を考えられない人、その考え方が変わらない人はいる。</p>
<p>使命感に燃えて人に伝えようとするが伝わらない。それどころか気持ち悪がらる始末。そして「なぜ、みんな理解できないのだろう」と悲しい気持ちになります。この辺で「理解出来ない人もいるのだ、自分の心にだけとどめておけばいい」となればいいのですが、「何とかして私がみんなを救わないといけない」とさらに意気込んじゃう人もいます。ハイ、危険な流れですね。</p>
<p>オウムは元々は純粋なヨガ道場だったそうだ。麻原自身も目が悪かったこともあり、悩みを抱えていたのだろうが、仏教の教えから救われたのかもしれない。そして同じように仏教の教えに惹かれて人々が集まってきた。そのうち、自分たちこそが世の中を救う使徒なのだと思い始める。選挙に出たのもそのためだろう。しかし選挙に敗れ、得体の知れない集団としてマスコミにも叩かれる。そうして「真理を理解出来ない人間は排除して、選ばれた我々で新しい日本を作ろう」という過激な方向に発展する。</p>
<p>こういう人たちがわかってないのは、人はみなそれぞれだということ。たとえ仏教の教えが真理だとしても理解出来ない人もいるということ。それを押し付けることも、欲であって煩悩でしかない。</p>
<p><strong>いろんな人がいる事を理解しろ。自分と合わないならほっとけ。</strong></p>
<p>ちょっと趣旨とずれてきたけど、要するに言いたいのは、多様な価値観を受け入れられない集団は、おかしくなりやすいということ。また、たとえ最初は素晴らしい教祖であったとしても、権力を実感すると欲が出て変わるということ。仏教的に言うと諸行無常ですね。</p>
<p>人であれ神であれ特定の何かを崇めたり、特定の教えに偏って自分自身で判断を下さないようになるということは、ものすごく危険な事だと思っている。だから自分にとって宗教は人を救うアンサーだとは思えない。</p>
<h3>道徳と宗教の分離</h3>
<p>全てのことには原因と結果があるという考え、そしてそれを自分で分析して考える事は、ものすごく大事だと思っている。それが満足行く人生を送る力になると思う。そして、そのため手法はクリティカル・シンキングやロジカル・シンキングといった本からも学べます。仏教を通さなくても学べる。</p>
<p>良いことをすれば良いことが巡ってくる、悪いことをすれば悪いことが巡ってくる。これは神様が見てるからじゃない。人を大事にすれば恩を返してくれる、人の怨みを買うことをすれば敵を作って報復にあう。それだけのこと。さらに言うと人のためになることをしても、何も返ってこないこと、理不尽な仕打ちを食らうことだってある。それはそれ。そういうこともあるというだけの話。こういうことは、エッセーや自己啓発本など宗教と関係ない本からだって学べる。だから道徳を学ぶのだって宗教を介する必要は全くない。</p>
<p>あ、ここでそれも私利私欲じゃないかとツッコミ食らうかもしれません。が、自分は別に私利私欲や損得勘定で動くことは否定しません。自分と周囲の人が幸せになるという結果が出ればそれでいい。偽善だろうと私利私欲の副産物でも構わない。</p>
<pre>
「人類の一番の悲劇は、道徳が宗教にハイジャックされたことだ」
アーサー・チャールズ・クラーク
</pre>
<pre>
「人間の倫理は、人情や教育、社会のニーズや結びつきを基本とすべきで、宗教を基本とする必要はない。もし人が死後の見返りの期待や罰の恐怖によって束縛されるなら不幸と言えるであろう」
アルベルト・アインシュタイン
</pre>
<p><a href="http://labaq.com/archives/50944400.html">http://labaq.com/archives/50944400.html</a><br />
らばＱより引用させていただきました。彼らがこういった記事をちょくちょく載せるのは、中の人も無神論者だからかな？</p>
<p>ちなみに自分は、相変わらず宗教や占いや祟なんかを信じる人は、今後もいなくならないと思います。彼らに何かを説くつもりもありません。ただ放っておくだけです。自分の人生楽しむのに忙しいので、そこまで他人に構ってる余裕はありません。</p>
<p>そんな無責任な事はできない？私が救わなければいけないだって？</p>
<p><strong>大きなお世話。誰もあんたに救ってもらうつもりはないよ。</strong></p>
<p>そもそも現代人の道徳って、昔に比べてそんなに欠如してるのかね？信心深くない日本人多いけど、世界じゃトップクラスの道徳心の高さ。</p>
<p><strong>これこそ宗教と道徳は関係ないって証明であって誇るべきでないのかな。</strong></p>
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		<title>Re:ゲームプログラマーという職業はもうありません</title>
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		<pubDate>Tue, 10 Aug 2010 16:42:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kinokoru</dc:creator>
				<category><![CDATA[プログラマ・プログラム]]></category>
		<category><![CDATA[仕事・労働・ニート]]></category>

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		<description><![CDATA[
ゲームプログラマーという職業はもうありません
<a href="http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/touch/20100806/1281120255">http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/touch/20100806/1281120255</a>
えらく長い記事だけど現場経験を踏まえて要約すると、

プレステあたりからゲームの開発規模は大きくなっている

1つのプロジェクトに5人以上携わるのはザラ

1人のプログラマが担当する箇所は特定の専門分野となる

1つの専門分野で高度な技術と時間を要する

ゆえにプログラマがゲームの面白さの構築に直接かかわる割合が少なくなっている

そもそも企画も5人以上いるのもザラで分業

企画ですら全部自分の思ったとおりに作れているわけではない


こんな感じ。
要するにゲーム開発って共同作業なわけです。
世間ではコンシューマーゲームやＰＣゲームなど、ある程度の規模のものを「ゲーム」として思い浮かべると思うけど、iPhoneアプリやmixiアプリのゲームのような小規模なものもある。こういう小規模ゲームなら、プログラマがゲームの面白さを追求しつつプログラミングはできます。だからゲームプログラマという職業がなくなったわけではない、と個人的には思う。
ま、コンシューマーゲームたずさわってる人間からしたら、そんなもんゴミだとか思うかもしれないけど、でも元記事のゲームプログラマの定義に従うなら、ゲームの面白さを追求する作業にきちんとたずさわってる小規模ゲーム開発のプログラマの方が、ゲームプログラマと呼ぶにふさわしい。ゲームレンダリングエンジンプログラマ、スクリプトエンジンプログラマ、ゲームフレームワークプログラマよりも。
名のある企業の名のあるゲームに携わった実績があれば鼻高々、と思うかもしれないけど、思うほど達成感はないものです。なんせ共同作業ですから。自分の作品という感覚は薄い。ま、その辺の感覚の薄さに気づいた時点で、ゲーム業界引退フラグが立ってしまったんだけど（笑）
今は自分で企画やコンサルしたりしてウェブアプリを作ったりしてますが、こっちの方が自分の作品って気がしますね。なんか小さく収まってるように見えるかもしれませんが、こういう最初は小さなものから大きな芽が出ることもあるのですよ？
ちなみに芽が大きくなったら、自分は抜けます。サービスごと売るとかして。
だってまた共同作業の歯車の一部になりたくないし（笑）
売って得た元手で、「生活のための仕事」をせずに、好きなアプリづくりに没頭。最高。
自分が元々プログラム覚えたのって、プログラムをしたかったからじゃなく、ゲームを作る手段としてプログラムを覚える必要があると思ったから。要するに何かを作るってことをしてみたかったわけで、プログラムは手段でしかない。
もっと「自分で作った」という感覚が得られる事をやりたい
それを求めてさまよってます。終わらない旅になりそうだ（笑）

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			<content:encoded><![CDATA[<p>ゲームプログラマーという職業はもうありません<br />
<a href="http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/touch/20100806/1281120255">http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/touch/20100806/1281120255</a></p>
<p>えらく長い記事だけど現場経験を踏まえて要約すると、</p>
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<li>プレステあたりからゲームの開発規模は大きくなっている
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<li>1つのプロジェクトに5人以上携わるのはザラ
</li>
<li>1人のプログラマが担当する箇所は特定の専門分野となる
</li>
<li>1つの専門分野で高度な技術と時間を要する
</li>
<li>ゆえにプログラマがゲームの面白さの構築に直接かかわる割合が少なくなっている
</li>
<li>そもそも企画も5人以上いるのもザラで分業
</li>
<li>企画ですら全部自分の思ったとおりに作れているわけではない
</li>
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<p>こんな感じ。</p>
<p><strong>要するにゲーム開発って共同作業なわけです。</strong></p>
<p>世間ではコンシューマーゲームやＰＣゲームなど、ある程度の規模のものを「ゲーム」として思い浮かべると思うけど、iPhoneアプリやmixiアプリのゲームのような小規模なものもある。こういう小規模ゲームなら、プログラマがゲームの面白さを追求しつつプログラミングはできます。だからゲームプログラマという職業がなくなったわけではない、と個人的には思う。</p>
<p>ま、コンシューマーゲームたずさわってる人間からしたら、そんなもんゴミだとか思うかもしれないけど、でも元記事のゲームプログラマの定義に従うなら、<strong>ゲームの面白さを追求する作業にきちんとたずさわってる小規模ゲーム開発のプログラマの方が、ゲームプログラマと呼ぶにふさわしい。ゲームレンダリングエンジンプログラマ、スクリプトエンジンプログラマ、ゲームフレームワークプログラマよりも。</strong></p>
<p>名のある企業の名のあるゲームに携わった実績があれば鼻高々、と思うかもしれないけど、思うほど達成感はないものです。なんせ共同作業ですから。自分の作品という感覚は薄い。ま、その辺の感覚の薄さに気づいた時点で、ゲーム業界引退フラグが立ってしまったんだけど（笑）</p>
<p>今は自分で企画やコンサルしたりしてウェブアプリを作ったりしてますが、こっちの方が自分の作品って気がしますね。なんか小さく収まってるように見えるかもしれませんが、こういう最初は小さなものから大きな芽が出ることもあるのですよ？</p>
<p>ちなみに芽が大きくなったら、自分は抜けます。サービスごと売るとかして。</p>
<p><strong>だってまた共同作業の歯車の一部になりたくないし（笑）</strong></p>
<p>売って得た元手で、「生活のための仕事」をせずに、好きなアプリづくりに没頭。最高。</p>
<p>自分が元々プログラム覚えたのって、プログラムをしたかったからじゃなく、ゲームを作る手段としてプログラムを覚える必要があると思ったから。要するに何かを作るってことをしてみたかったわけで、プログラムは手段でしかない。</p>
<p><strong>もっと「自分で作った」という感覚が得られる事をやりたい</strong></p>
<p>それを求めてさまよってます。終わらない旅になりそうだ（笑）</p>
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