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冒頭部分を読んで、唯物論についてがっつり書いてあるのかと思って購入したのだが、実際は金と女の話ばかりだった(笑)。でも、まあ楽しめました。著者の「ナニワ金融道」を読んだことはないけど・・・

犯罪を促すようなことを書いてたり、青色申告せずにどんぶり勘定白色申告の方が得とか、最近の若者は~だから駄目、とか賛同できない部分も結構あった。筆者が傾倒する共産主義も支持できない。だけど、唯物論、無神論的な考え方には賛同。13年前に書かれた本であるが、今の日本の状況を予期している面もある。労働者は奴隷である、資本主義社会は階級社会であると、きっぱり言っている。13年前に、バブル崩壊後とはいえ、高度成長期に生きた人で、こういうこと言える人はなかなかいなかっただろう。

本書のあとがきにあるメッセージは力強く非常に共感できる。

オウムに限らず宗教のイカンところはどうしても、あの世とか、霊魂の存在を出すことや。つまり宗教は観念論で人間を洗脳してしまうのやな。
~中略~
わしの主張しとる唯物論哲学は、これに真っ向から対立するのや。死んだら無になるだけであってね。あの世とか地獄とかを思うこと自体が間違いだということなんや。
こう言い換えてもええ。神は人間が何かにおびえる心が創りだしたものであって、神が人間を創ったのでは、断じてない!

著者は冒頭で、唯物論は現実をあるがままに見るということに対して、観念論は現実をあるがままに見ずに、「あると思う」ことを基準に考えることとしている。労働の美徳も,
資本主義社会の中で、ピラミッドの頂点にいる人間が下層の人間を洗脳するための観念論でしか無いという件には、まったくもって同意である。

ちなみに13年前に書かれたものなので無理もないが、著者が「あるもの」と思う学歴至上主義も自分は既に観念論だと思っていた。そして学歴至上主義も崩壊しつつある。

著者の青木雄二氏は、ナニワ金融道で儲けて一生暮らせる金ができたと漫画家から引退、本書のような執筆活動はしていたが、悠々自適に暮らしていたそうだ。自分も目指すセミリタイヤってやつですね。しかし引退から6年後の2003年に58歳という若さでこの世を去ったらしい。唯物論者らしく無宗派での葬式で戒名もつけなかったとか。

Hatena Bookmark for this entryHatena Bookmark - 現代人の道徳の欠如は宗教心の欠如からなのか? Clip this entry on Livedoor ClipLivedoor Clip - 現代人の道徳の欠如は宗教心の欠如からなのか? Bookmark this on Yahoo Bookmark Bookmark this on BuzzURLBookmark this on BuzzURL Add to @nifty clip Post to TwitterTweets for this web page Share on Tumblr Bookmark this on FC2 Bookmark newsing it! Choix it! Add to Google Bookmark Bookmark this on Delicious Digg This Share on FriendFeed

たまに今の日本人の心が病んでいるのは、宗教心の欠如が原因の一つといった話を見かける。こういう人は、道徳は宗教から学ぶものだと思っているのだろう。道徳の全てを宗教から学ぶべきとは言わないまでも、宗教的な道徳観は必要だと思っている。

人は私利私欲から悪意のある事を行うことがある。強い心を持つ人は自制心が働くが、そうでない人もいる。やってはいけない事をさせないようにするためには、その理由を説く必要がある。その中で最もお手軽なのは「神様が見ているから、悪いことをすると地獄に堕ちる」といった価値観の植えつけである。

自分がこういう価値観が嫌いな大きな理由の1つとして、

結局はそれって自分が助かりたいという私利私欲でしかないよね?

という疑問からだ。

自分の親戚連中は、宗教ではないが、ある祈祷師の占いを信じて崇めていた。狐がついただの祟だのそういうたぐいのものです。(ああ書いてるだけで気持ちが悪いなw)彼らはそれで幸せになれると信じつつ、くだらないことで揉めたりして、一部の兄弟を村八分のようなことをしていた。子供ながらに閉鎖的で辛気くさい連中だと思っていた。自分たちに悪いことが起こらないようにという私利私欲の信仰、そして人を不幸にしている矛盾。

こういう経緯もあって、子供の頃から、ご利益とかバチとかそういう概念を徹底して嫌うようになった。

自分には信心深さと道徳心の強さに相関性があるとは全く思えない。

正しいことでも伝わるとは限らない

こういう事を言うと「いや、それは信仰の対象や仕方が間違っているからだよ」と言う人もいるだろう。

自分はお釈迦様の説いた仏教は好きだ。因縁生起という言葉に代表されるように、原因と結果を正しく考える事を重視していて、論理的だからプログラマの自分にはしっくり来る。お釈迦様は、地獄に堕ちるから神様に祈れとか一言も言ってない。むしろそういう根拠ない考えに囚われる事を否定している。

同じように仏教の良さに気づいた人の中には「もっと正しい仏教の教えが伝われば、みんな幸せになれる。悩み多い現代人を救うのはお釈迦様の教えなんだ!」と意気込んじゃう人もいるだろう。でもそれはうまくいきません。なぜなら、あらゆることには原因があって結果があるという基礎的な概念が理解出来ない人たちがいるからです。論理的思考回路が欠如していて、感情でしか物を考えられない人、その考え方が変わらない人はいる。

使命感に燃えて人に伝えようとするが伝わらない。それどころか気持ち悪がらる始末。そして「なぜ、みんな理解できないのだろう」と悲しい気持ちになります。この辺で「理解出来ない人もいるのだ、自分の心にだけとどめておけばいい」となればいいのですが、「何とかして私がみんなを救わないといけない」とさらに意気込んじゃう人もいます。ハイ、危険な流れですね。

オウムは元々は純粋なヨガ道場だったそうだ。麻原自身も目が悪かったこともあり、悩みを抱えていたのだろうが、仏教の教えから救われたのかもしれない。そして同じように仏教の教えに惹かれて人々が集まってきた。そのうち、自分たちこそが世の中を救う使徒なのだと思い始める。選挙に出たのもそのためだろう。しかし選挙に敗れ、得体の知れない集団としてマスコミにも叩かれる。そうして「真理を理解出来ない人間は排除して、選ばれた我々で新しい日本を作ろう」という過激な方向に発展する。

こういう人たちがわかってないのは、人はみなそれぞれだということ。たとえ仏教の教えが真理だとしても理解出来ない人もいるということ。それを押し付けることも、欲であって煩悩でしかない。

いろんな人がいる事を理解しろ。自分と合わないならほっとけ。

ちょっと趣旨とずれてきたけど、要するに言いたいのは、多様な価値観を受け入れられない集団は、おかしくなりやすいということ。また、たとえ最初は素晴らしい教祖であったとしても、権力を実感すると欲が出て変わるということ。仏教的に言うと諸行無常ですね。

人であれ神であれ特定の何かを崇めたり、特定の教えに偏って自分自身で判断を下さないようになるということは、ものすごく危険な事だと思っている。だから自分にとって宗教は人を救うアンサーだとは思えない。

道徳と宗教の分離

全てのことには原因と結果があるという考え、そしてそれを自分で分析して考える事は、ものすごく大事だと思っている。それが満足行く人生を送る力になると思う。そして、そのため手法はクリティカル・シンキングやロジカル・シンキングといった本からも学べます。仏教を通さなくても学べる。

良いことをすれば良いことが巡ってくる、悪いことをすれば悪いことが巡ってくる。これは神様が見てるからじゃない。人を大事にすれば恩を返してくれる、人の怨みを買うことをすれば敵を作って報復にあう。それだけのこと。さらに言うと人のためになることをしても、何も返ってこないこと、理不尽な仕打ちを食らうことだってある。それはそれ。そういうこともあるというだけの話。こういうことは、エッセーや自己啓発本など宗教と関係ない本からだって学べる。だから道徳を学ぶのだって宗教を介する必要は全くない。

あ、ここでそれも私利私欲じゃないかとツッコミ食らうかもしれません。が、自分は別に私利私欲や損得勘定で動くことは否定しません。自分と周囲の人が幸せになるという結果が出ればそれでいい。偽善だろうと私利私欲の副産物でも構わない。

「人類の一番の悲劇は、道徳が宗教にハイジャックされたことだ」
アーサー・チャールズ・クラーク
「人間の倫理は、人情や教育、社会のニーズや結びつきを基本とすべきで、宗教を基本とする必要はない。もし人が死後の見返りの期待や罰の恐怖によって束縛されるなら不幸と言えるであろう」
アルベルト・アインシュタイン

http://labaq.com/archives/50944400.html
らばQより引用させていただきました。彼らがこういった記事をちょくちょく載せるのは、中の人も無神論者だからかな?

ちなみに自分は、相変わらず宗教や占いや祟なんかを信じる人は、今後もいなくならないと思います。彼らに何かを説くつもりもありません。ただ放っておくだけです。自分の人生楽しむのに忙しいので、そこまで他人に構ってる余裕はありません。

そんな無責任な事はできない?私が救わなければいけないだって?

大きなお世話。誰もあんたに救ってもらうつもりはないよ。

そもそも現代人の道徳って、昔に比べてそんなに欠如してるのかね?信心深くない日本人多いけど、世界じゃトップクラスの道徳心の高さ。

これこそ宗教と道徳は関係ないって証明であって誇るべきでないのかな。

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神などいない。
いるのは神の名を騙る(かたる)悪魔だけ。

  • 奴らは祈りを捧げなければ地獄に堕とすと脅してくる。
  • 奴らは偶然を奇跡と錯覚させる。
  • 奴らは罪なき人々が飢餓や戦争で死んでいくのを尻目に、奇跡を起こす力があるとのたまう。
  • 奴らは高貴な人の魂を、汚れて価値のないもののように定義する。
  • 奴らは自由になることは悪だと説き伏せ、人生を束縛し幸福から遠ざける。
  • 奴らは一度きりの人生を永遠の一部のように偽り、無意味な人生を強いる。

なんと傲慢で悪意に満ちた存在か。なぜそれを神と呼ぶ?

古代ギリシャの哲学者・エピクロスの言葉

もし神が悪を妨げる意思はあっても力が無いなら全能ではない。
力はあるが意思が無いなら邪神である。
力も意思もあるなら悪はどこから来るのだろう。
力も意思もないなら、なぜ神と呼べるのだろう。

悪魔に実体などない。悪魔は地獄の住民などではない。
悪魔の正体は卑しく醜く弱い人の心だ。

悪魔を払えるのは人の強い意志だけである。
僧侶の祈りも、祈祷師のまじないも、糞の役にも立ちはしない。
自分の力で考え、自分の力で未来を切り開き、自分の力で自由を勝ちとる。
その強い意志のみが、悪魔を払うことができる。

らばQ:「神はいない?」偉人たちの無神論的な50の格言

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「なぜ日本人は無神論者なのにマナー良いし犯罪少ないの?」…アメリカの掲示板で大激論
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1367901.html

自分は、これこそ最も日本人が誇るべきことだと思います。宗教なくしても人は善人として生きられるのだと言うことを日本国民は世界に示しているのです。

アインシュタインの言葉

神の存在とは私が真面目に受けとれない人類学の概念のようである。人間界の外に意思やゴールがあることが全く想像できない。科学は道徳を犯すと責任をなすりつけられてきた。しかしそれは不当である。人間の倫理は、人情や教育、社会のニーズや結びつきを基本とすべきで、宗教を基本とする必要はない。もし人が死後の見返りの期待や罰の恐怖によって束縛されるなら不幸と言えるであろう。

さすが天才は良いこと言ってます。

日本人は不可知論者

とはいえ、多くの日本人も困ったら助けてくれーと祈っていたり、悪いことしたら地獄に落ちるとかは漠然と信じている人も多い。単に宗教と疎遠なだけで神を全く信じていないのとは違う。多くの人は、いるともいないともいえないよねー、って感じなんじゃないかな。だから日本人の多くは不可知論(agnostic)なんだと思います。

「自分はagnostic」って海外で言うと相当驚かれますが(笑)。自分もホームステイ先で言って、「それは家族も全員そうなの!!??」って目を丸くして追求された。もともと海外では信仰=道徳なんですよね。無神論者のニーチェなんかも信仰と道徳をセットにして否定してます。

新渡戸稲造が、武士道を書いたきっかけの一つは、日本人は信仰なくしてどうやって道徳を守るんだ?って外人(アメリカ人?)に問われたからという話もある。昔の人は日本古来の宗教・神道に対してもっと信心深かったのかもしれませんが、でも神道は決まった教義が無いし、あまり道徳的な事は説いてないように思う。

無神論者には強く意識しないとなれない

自分が思うに無神論者には強い意志があると思う。自分は困ったときに、とっさに祈ってりまうのは人間の本能的な行為だと思っている。だから、神と言うものを論理的に否定する哲学を持っていて、絶対に何があっても神に祈らないといった強い意志がないと無神論者にはなれない、と思う。

ちなみに自分は不可知論者です。ただ世間の言う妄想の神の定義に対しては絶対否定なので、限りなく無神論に近いです。困っても祈らない、という意志もあります。

不規則に見えても数学の規則にのっとって世の中は成り立っている。この規則を作った高度な知的生命体こそ神だ。なんて真面目に考えている科学者もいるそうです(笑)メン・イン・ブラックの最後もそんな描写があったような・・・自分もこういう意味での神は存在するかもしれない、とは思います。

日本人は真面目に不可知論・無神論を学ぶといいかも

強い哲学なくして、信念は貫けません。ほぼデフォルトで不可知論者である日本人は、その素晴らしい精神を強固にするために、不可知論・無神論を学ぶといいかもしれません。苦難がおとずれたときに、インチキ宗教に惑わされないためにも。

以下おすすめの書籍。

ブッダの人と思想 (NHKブックス)

著者:中村 元

評価:

「生きることは苦しみである。」仏教の開祖・釈迦の考えはかなり不可知論的です。念仏唱えて天国へ、は釈迦の教えとは違います。もともと日本仏教は、釈迦の教えからかなり離れてしまっているので・・・

[amazon:4862280153]
神や道徳は弱者のひがみから生まれたと言う身も蓋もない話(笑)。でも自我は幻想だという理論は、釈迦の諸法無我の考えと共通する面があります。無神論者のニーチェも仏教は完璧だといったとか。

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ブッダの人と思想 (NHKブックス)

著者:中村 元

評価:

wikipediaで仏教は宗教学分類上、無神論に分類されることが多いという記述をみかけて、もう少し掘り下げて勉強してみたい気持ちになった。そこで仏教の開祖である釈迦の本を探し、目についたのがこの本です。

釈迦の人間性や説いていた内容など、わかりやすく書かれた良書でした。そして釈迦には無神論というか不可知論者的側面を強く感じました。釈迦の言葉の中に「神を崇めよ」といった類のものは一切出てきません。また良い行いをすれば天国に行けるという言葉もありません。それどころかあの世の存在自体に言及しないというのが釈迦のスタイルです。釈迦は、今ある苦しみに対峙することこそが、最も大事なことであり、あの世の存在、神の存在に言及することに価値を見出していなかったのです。この本を読んでそのことがはっきりとわかりました。

釈迦の基本思想である中道という考え。これが素晴らしい。死後の世界はあり魂は永遠であるというような考えを「常見」、あの世などない、死んだらしまいというような考えを「断見」と定義しています。永遠と滅したら終りという相対する考え。それに対して中道は、その極端などちらにもよらない考えで常に中立の立場で考えるということです。不可知論は存在を認識できないのだから、神を信じるも信じないもないという考えであるが、中道と通じるものがある。

釈迦は常に生きることの苦しみ、特に老いて死ぬことの苦しみから解放されるには、どうあるべきかというのを説いています。釈迦の答えは生への執着を含め、あらゆる執着を捨てよ、というものです。だから死の恐怖に苛まれて神に祈るというのは釈迦からすれば愚の骨頂というわけでしょう。この本は、こういった釈迦の思想をきちんと勉強出来る良書だと思います。仏教は宗教というより思想・哲学だといわれるゆえんも。