最近ネットの書き込みとか見てて「自分が不遇な扱いを受けているのは社会が悪い」というところで思考が停止している人が多いんじゃないかと思う。「絶対にこんな社会にした老害共を許しません」という表現も見かけるけど、じゃあどうするの?って言えば、単純に心の中であいつらは許さないって思うだけなんでしょ?
むしろ今のほうが平等
今までは日本の大企業が世界で戦ってくれて、世界中から富をかき集め、それを庶民に分配していた。そして終身雇用や年金という人生安泰システムが成り立った。その後のバブルの崩壊後の低迷は、国の無策なども悪かっただろうけど、昨今の状況はそれだけが原因じゃない。ネットの普及で世界中の人たちが、同じ土俵でビジネスできるようになったということも大きいはず。
今までは途上国に生まれたら、才能があっても自国では能力を発揮する場所もなく未来もない。だからアメリカなど海外に渡るしかなかった。けれど、今はネットさえあれば母国でも仕事ができるようになった。海外に渡った人々も、母国に居場所ができて国の未来の為に帰って仕事をする人もいる。
どの国で生まれたかじゃなく、本人が何ができるかで評価される時代に一歩近づいたのだとしたら、今の時代のほうがより平等じゃないですか?
きっと彼らは社会が悪いで思考停止しないはず。人生の権利は自分で勝ちとるものだと信じているはずだ。海外ニートさんだって、ある時点でこのままじゃだめだと行動に出たから、今があるわけで。恨み言ばかり言ってても何も変わらない。
主張してる権利の正体
めんどいことは考えたくない、会社(家畜小屋)から安定した給料(餌)もらって過ごしたい。主張してる権利の正体がそんなものだとしたら、やっぱり根っからの社畜ですよ。
結局、自分の権利ばかり主張する人たちって、終身雇用制や年金があって当然のもの、国が自分たちを守るのは当然の事って思ってるんですよね、きっと。ある意味旧時代のシステムの熱烈な信仰者なんですよ。自分では気づいてないだろうけど。
自分はどんな時代であれ、他人や社会に与えられた人生なんてごめんです。与えられた人生に屈して生きる、それこそ許せないですよ、自分は。
http://usuke-k.tumblr.com/post/289832196
元ヤクザに学んだ交渉術
聴く力って大事ですよね。たいてい癇癪起こす人間って普段から自分の話ばかりするような人。人の話など聞きはしない。常に自分の会話のターンを待っている。こういう人間はおとなしい人間は言いくるめられるかもしれないが、冷静で理路整然とした人間には通用しない。
これは最近読んだ本。あまり著者の感性とは共鳴するものがなく、ブックオフに流れてしまったが、納得できる内容もあった。思ったことをそのまま話す事を、正直で良いことだと思うな。それは単に会話と言うものに対して弛緩している。つまり緊張感を持って会話していないと言うこと。
親しい友人とは時にはお互いの欠点を突っ込んだりバカ言うことで親密になれたりするし、常に会話に緊張感を持つ必要はない。むしろ常にそうだと、相手も疲れるし嫌がられるだろう。しかし、重要な局面では、きちんと相手の言い分を聞いて、論理的に反論できる材料を探さなくてはならない。元ネタの状況のように激昂する必要はないが、相手がぐうの音も出ないほどの理路整然とした反論は、相手の話を冷静に聞き取れているかにかかっている。
とはいえ自分もまだまだ聴く力は不足しています。これは本当、熟練が必要な技術です。プログラム覚えるよりずっと難しい。
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そのものズバリなタイトルの本。これはおすすめです。
コミュニケーション本の多くに最も大事なコミュニケーションスキルは聴く力であるって書いてあるものです。
http://kusoshigoto.blog121.fc2.com/blog-entry-331.html
実家に帰って親父と喧嘩しました。手も出たのだが(笑)
いいトシこいて恥ずかしい。
まあ、何が腹立つって団塊の世代って働くことが美徳だと思ってるの多いよね。そんで、俺らはまじめに働いてないからダメなんだみたいな。そんで稼いでいる人間には、中身のないことやって稼いでるかのような偏見。それでいて中国の急成長に関しては、単価が安いから、あいつらのはバブルだなんて言ってのける。自分たちだって戦後、アメリカから見たら安くて良質な労働力だから急成長できたのに。もちろん日本人の教育レベルと勤労意欲が高かったから他のアジア諸国を出しぬいて急成長したのは事実だけど。でも実際は、働くだけで豊かさを得られるって事自体、贅沢な話。
仕事なんかクソだろブログを読んでてつくづく思うのは、今の日本人が不幸なのは物質的豊かさというより、精神的豊かさの方が原因なんじゃないかなって思う。もともと世の中なんか不条理だということを忘れて、高度成長の中で生まれた幻想、「頑張れば報われる」という価値観を未だに信じている。不況で大変な時期だけど、頑張ればいつかは経済が回復して報われると。でも、そうじゃない、頑張れば頑張るほど首が絞まるのが現実だ。
お店が24時間空いているのは当たり前、役所は休日も開いているべき。それを当たり前と思っているのは、物質的というより精神的豊かさに溺れているということではないかな。どうせみんな今は金銭的にぴーぴー言ってる人のほうが多いわけで決して物質的に豊かなわけでもないと思う。
仕事があるだけありがたい、なんていう台詞も大嫌いだ。そんなマインドだから、安く請け合いしちゃうわけで。それもデフレの一因。良い仕事するには、これだけの金が必要なんだ、って主張しない奴多すぎる。我慢することは美徳じゃない、悪癖だ。
世の中に見えざる公平なジャッジシステムがあって、一生懸命やった奴ほど報われると盲信するのは、人間の傲慢さだと思う。きちんと世の成り立ちが見えないと、いつまでたっても貧乏くじを引いたままだ。「たまたま」世の中が右肩上がりの時代に生まれない限りはね。
ある意味、就職氷河期は永遠に続くだろう
http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/907fed58822546ce18a47cd536719c7b
高学歴というだけで良い企業に就職出来て安泰は過去の話。これは同意です。しかしコメントの学歴だけあってもコミュニケーションスキルが?という、よくありがちな意見。こういう見方には前々からツッコミをいれたかったので、この機会に。
学歴が高い奴は勉強ばかりしていてコミュ力が低いってのは、非高学歴者の願望を反映しているだけだと思う。個人的な見解では学歴とコミュ能力はあまり関係がないように思う。実際、学生時代にまでさかのぼってみて考えるとそれは明らかだ。スポーツもできてリーダシップもあって学級委員なんかもやって、なおかつ成績優秀なんてのもいただろう。もちろんスポーツ駄目で目立たない存在だが成績優秀というのもいた。学生時代を思い出して欲しい、コミュ力と勉強のデキに相関関係はあったか?
大学や社会に入ると、学力的に同じレベルの人間ばかりになる。だから、本当の自分のランクみたいなのが見えにくくなる。実際にベンチャー社長などに高学歴が多いのは事実だ。本人の能力うんぬんもあるが、良い大学に入ると優秀な人と友達になる機会がある。ベンチャー社長のエピソードで在学中にサークル活動から始めて起業なんてエピソードもある話だ。高学歴の知人の話を聞くと、やっぱり良い人脈持ってるなと思う。学生の時、友達だった人間がいっぱしの人間になっていく。そしてそれが良い人脈になる。だから良い大学に入って、そこでモチベの高い優秀な友達を作るのは将来有利に働くと思う。
有名大学卒の高学歴の人間と仕事もしているが、やっぱり優秀。俺みたいなのとは頭の作りが違うなと思う。ドラゴン桜に出てくる宇宙人ってやつ、あれホントにいます。コミュ力は千差万別。ITとかオタクちゃんが多いのでおとなしいのが多いのは確かですが、でもそれは高学歴に限ったことじゃない。
高学歴がコミュ力低いとか学歴は関係ないとか言ってる人で、実際、高学歴な人間と仕事したことがある人なんてほとんどいないのではないか。凡庸な人間ばかりの職場にふるい分けられて世の中語るのは、井の中の蛙ってやつです。
また仮に高学歴な人と仕事してダメだったから、高学歴は頭でっかちで応用が効かない、と判断するのも短絡的。結局、今自分が働いている環境がどうかということです。凡庸な人間ばかりが集まる環境なら、そこに堕ちてくる高学歴人は、もともと高学歴者の中でも下位にランクする人なのかもしれない。
むしろもっとやっかいなのは、自分が能力的に劣っていると認知できずに、なんでもできると思い込んでいる奴。失敗はすべて他人のせい、環境のせい、運のせいにする。
まずは、ごあいさつ。
このサイトの立ち上げ人gingertechです。今後ともよろしくお願いします。
ミドルクラスにいて先行き不安な人たちがこの先生きのこることを考えるサイトになればと思っています。自宅警備員とかどん底にいる人は他を当たってください・・・ある程度の社会経験と貯蓄がある人を対象としたいと思っています。
成功という定義は人それぞれですが、自分としては、時間的拘束が無く、好きな仕事と不労所得で十分食える、そんなセミリタイア生活が送れればいいなと思ってます。いや、ただ思うだけじゃなく本気で目指したい。
これから自身の経験を通じてセミリタイアを目指すためには、どういった道があるかを模索していきたいと思います。